米国海軍を棒で撃退し説教する恐ろしい住職のいるお寺
北鎌倉にある浄智寺は私にお気に入りのお寺のひとつです。鎌倉の中でもここは雰囲気がガラッと変わります。観光地の喧騒から離れて一息するには最適です。
浄智寺は鎌倉五山の第四位、今でこそ小規模な寺院になりましたが、かつては大規模な敷地にたくさん寺院が建ち並んでいました。江戸時代に多くが失われてしまったといいます。おそらく、明治政府による神仏分離令による影響はそれ以上に大きかったことでしょう。1923年の関東大震災の被害も甚大なものでした。
住職の朝比奈恵温さんは、数年前に一緒にTV番組に主演した時に知り合い仲良くしています。とても気さくで親しみやすい人柄です。ここでタイトルのネタばらしをしますが、アメリカ海兵隊の兵士達が禅修行のために浄智寺を訪れた時のことを思い出し、ふざけてみただけです。
朝比奈住職によると、浄智寺の起源は中国にあると言います。鎌倉時代(1192‐1333)の当時、禅修行はある種のブームとなっており、大勢の僧侶が中国から日本の寺院へ住職として招かれており、浄智寺もそういう寺院の1つでした。インターネットなどなかった時代にも関わらず、浄智寺にいた有名な高僧の評判は日本全国に広がり、たくさんの人が禅を学びにこの寺院を訪れました。寺院の建設に携わる職人をはじめとして、多くの中国人が寺院周辺に住んでいました。浄智寺の鐘楼門の特徴的な外観は中国からの起源を感じさせます。現存する門は10年前に再建されたものです。それ以前の門は、関東大震災のあと、復興で建材が不足していたころに建てられたものだったので、再建する必要があったのです。
浄智寺の本堂には、3体の仏像があります。このことは珍しいことではありませんが、浄智寺のように3体を全て同等に扱うことは稀です。少し複雑で混乱するかもしれませんが、私の話にもう少しお付き合い下さい。よくあるのは、真ん中にお釈迦様の像、両脇に菩薩像が安置するケースですが、この場合、真ん中のお釈迦様が最も高位であるとされています。浄智寺の場合は、「阿弥陀如来(過去)、釈迦如来(現在)、弥勒如来(未来)」の3体の仏像が安置されていますが、全て同じ如来です。遠い未来に地上に現れて悟りを開き、仏法の真髄を伝えるとされている弥勒が、どうして完全な仏として現在に現れているのかと、疑問を感じる人もいるでしょう。答えはとても単純なことです。この像は、今から56億7千万年後、悟りの境地に達した弥勒の姿そのものなのです。それゆえに、完全な仏の姿をしているのです。
さて、人間界の話に戻りましょう。浄智寺の境内は「日本の里山」の雰囲気を味わえるような設計になっています。ここを訪れると、まるで故郷に帰ったような気分になるでしょう。きれいに整備された庭園ではなく、自然をありのままに残すような工夫が施されており、素朴なかやぶき屋根の書院が佇んでいます。この一見地味な屋根の維持には大変な手間暇をかけているそうです。屋根は20年ごとに葺き替えなければなりません。上層部分のみ新しく張り替え、下層部は元々の萱をそのまま用いるのが通常です。とはいえ、補修の行程で傷みがないかは入念に調べられ、必要があれば張り替えられます。萱を適切に切りそろえ、束にして、敷き詰めなければ、絶対に長持ちはしないので、そのための職人は仙台から呼ばれてやってきます。
その庭園の脇に曲がりくねった道があります。古い墓石の数々を目にしながら、2つ、3つと洞窟をくぐり抜けたところで、浄智寺の最大の見所のひとつである布袋さんのもとへ辿り着きます。そのハゲ頭でおなかのでた愉快なおじさん(少し筆者に似ている)は、七福神のうちの1人で、幸せを呼ぶ神様です。布袋さんのおなかをなでると幸せをもらえると言われており、皆が触るためか、布袋さんのおなかは少しテカテカしています。浄智寺の布袋さんは特徴的で、となりを指で差しています。これは、「幸せはあなたのすぐ隣にある」という布袋さんからのメッセージです。また、布袋さんは先程ご紹介した弥勒如来の化身であるとされています。そのことから、布袋さんは未来を指差しているとも言われています。
その他に「甘露の井」も必見です。現在では、工事の影響などから飲用には適さないとされているものの、神聖なものであることには変わりなく、この湧水をボトルに満たして持ち帰る人はあとを絶ちません。
鎌倉生まれ、鎌倉育ちの元アメリカ海軍少佐で、海軍認定のテロ対策教官も務めてました。
現在は日本の企業や市民団体にテロ対策を教えるコンサルタントとして活躍しています。
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